マリンフォトライブラリー > 水中写真家 舘石昭
海の中がまったく未知の世界だった1956年より、手作りのハウジングで水中撮影を始め、1957年、日本で初めての水中写真のグループ展を開催。日本初の水中ドキュメント「海は生きている」(羽仁進監督)の水中撮影を担当した。映画、社会記事、海中ドキュメントなどあらゆるテーマの水中シーンを一手に引き受け、日本にはかつてなかった「水中写真・映像」という新たなジャンルを確立。水中写真をアートの世界に引き上げた第一人者として、世界的に活躍した。防水ハウジング「タテイシブロニカマリン」を制作するなど、水中撮影機材の開発にも貢献。一方で素晴らしい海の世界を潜る仲間を増やしたいとの思いから、1969年日本初のダイビング専門誌『マリンダイビング』を創刊。日本におけるダイビングのメジャー化、ダイビング界の水中写真ブームをリードしてきた。また、地球の海の魅力を伝えるべく『海と島の旅』『アイラブダイビング』『マリンフォト』などの定期刊行物のほか、写真集、書籍などさまざまな出版物を刊行。モルディブを日本で初めて紹介するなど、水中写真家としてだけでなく各誌の編集長として、海外や国内の海の魅力を幅広く取材し、紹介した。
2004年、世界的なダイビング賞『INTERNATIONAL SCUBA DIVING HALL OF FAME』にアジア人として初めて選ばれダイビング殿堂入り。2005年には永年にわたる水中写真の発展と普及への貢献が認められ、「文化庁長官表彰」を受け、2006年春の叙勲では「旭日双光章」を授与される。 2011年に株式会社水中造形センター社長から会長になるが、水中写真家としてそれまでと変わることなく国内外の海を撮影し続ける。 2012年9月、永眠(享年82歳)。
【経歴】
公益社団法人 日本写真家協会 会員 / 公益社団法人 日本写真協会 会員 / 日本自然科学写真協会 会員 / 社団法人 レジャー・スポーツダイビング産業協会 顧問 / 一般財団法人 日本水中写真普及協会 会長 / 株式会社 水中造形センター 取締役会長
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